今日、世界がうまく機能していないように感じるのは簡単です。
テロが起こり、戦争が繰り広げられ、政治はより偏向し、将来は暗く見えます。
毎朝起きるたびに気分が落ち込んでいても不思議ではありません。

しかし、すべてが心を痛めるような恐怖の連続であるとは限りません。
自然界では我々から見えないところで、数多くの動物が目覚しい復活を遂げています。
インドネシアや中国のような場所は環境が荒廃しているにも関わらず、私たちは徐々に絶滅の危機から動物を取り戻すことに努力してきました。
1. ジャイアントパンダ(2016年に絶滅危惧種から除外)

ジャイアントパンダは、絶滅危惧種の代名詞のような動物でした。
実際、世界自然保護基金(WWF)は、ロゴにパンダのイメージを使用しています。
ほかにジャイアントパンダについて何か知っていますか?
彼らは絶滅に至っていないのです。
2017年5月現在、地球上で最も有名だった絶滅危惧種は、もはや絶滅の危機に瀕していません。

WWFが1961年にロゴをパンダで最初に選んだとき、ジャイアントパンダはほとんどいなくなっていました。
一握りの野生のパンダは残っていましたが、保護するのは非常に難しく、どれだけの数が残っているのかは分かりませんでした。
生存数の減少を逆転させるには何十年もかかりました。
最初に、最後の一匹のパンダが狩られてしまう前に、密猟者への刑罰を与えなければなりませんでした。
第二に、生息地を守るために、野生生物保護区が設定されなければなりませんでした。
現在中国には67のパンダ保護区があり、14,000平方キロメートルの生息地を保護しています。

この努力のおかげで、パンダの数はうまく増えていっています。
2004年までに、1,500匹が野生に住んでおり、現在の数は2,000以上です。
ジャイアントパンダは依然として絶滅危惧種一歩手前の「危急種」リストに載っていますが、絶滅の心配はこれで無くなったでしょう。
2.チャタムミズナギドリ(2015年に絶滅危惧種から除外)

この名前を見て、9割の人は一体どんな動物かわからないでしょう。
この鳥はニュージーランドのチャタム島という島だけに生息する鳥で、他の場所で見ることはできません。
問題は、その島にはヒロハシクジラドリという鳥がいるということです。
この鳥はとても活発的で、他の鳥のところへ突然押しかけ、巣にあるものを勝手に捨てるのです。
さらに、ヒロハシクジラドリはチャタムミズナギドリの巣を乗っ取ってしまうのです。
これが原因でチャタムミズナギドリは死んでしまい、1995年にはその数は600にまで減少していました。

しかしありがたいことに、ニュージーランドの鳥は頭が良かったのです。
この状況に対処するために、チャタムミズナギドリたちは彼らの天敵がいない新しい島へ移住したのです。
2015年にはチャタムミズナギドリの生息数は増え始め、現在は絶滅危惧種から危急種になっています。
3.ルイジアナクロクマ(2015年に絶滅危惧種から除外)

人間を襲う動物の絶滅危惧種リスト除外を喜んでいいかわかりませんが、ルイジアナクロクマは違います。
なぜなら、それはアメリカ合衆国のシンボル的動物だからです。
また、それは何十年も前から子供達のぬいぐるみとして愛されてきたからです。
何を隠そう、ルイジアナクロクマはテディーベアという名前の元祖なのです。
この出来事は、今はもう忘れ去られているセオドア・ルーズベルト大統領が関わった出来事のおかげなのです。
1902年、ルーズベルト大統領はミシシッピへと熊狩りに出かけました。
彼はホルト・コリアーという今まで3000匹ものクマを狩ってきたプロのクマハンターと一緒に狩りに向かいましたが、何時間かけてもクマは見つかりませんでした。
コリアーがやっとの思いで怪我をしたクマを木にくくりつけ、ルーズベルト大統領に撃たせようとしましたが、スポーツマンシップに反するとして大統領はこれを拒否しました。

この出来事がメディアに取り上げられると、ワシントンポスト紙が撃つことを拒否する大統領とかわいらしいクマのイラストを載せました。
このイラストは大人気となり、テディーベアのモチーフとして利用されたのです。

1992年には150匹しか生息していませんでしたが、20年近くに及ぶ保護活動によって、現在は700匹にまで増加しています。
4.デルマーバキツネリス(2015年に絶滅危惧種から除外)

1967年、アメリカ政府はいわゆる絶滅危惧種保護法を可決しました。
まず、各州が意識的に活動しなければ絶滅してしまう動物のリストを作ることを要請しました。
こうして77種の動物がリストに登録され、アメリカの絶滅危惧種動物が決められました。
その中でも上位に位置していたのがデルマーバキツネリスです。

この大きく灰色のキツネリスは、森林伐採と過度の狩猟によって、絶滅寸前まで追いやられていました。
1967年の時点では、かつての生息数の10%まで減少していました。
生息地のほとんどは3州にまたがる私有地だけだったので、生き残る可能性は非常低かったです。
さらに難しいことは、ただリスを守るという目的のために、その私有地に住む人の生活に影響を与えてしまうという点でした。

しかし、50年近くに及ぶ努力の結果キツネリスの数は2万以上にまで増え、生息地を拡大しています。
5.トド(2013年に絶滅危惧種から除外)

冷たく、岩がむき出しになったアラスカ西部の海岸に、アメリカ最大の固有種が生息しています。
トドはとにかく巨大で、その脂肪が詰まったお腹はあなたのお母さんより大きいかもしれません。
中央カリフォルニアでも見ることができるこの動物は、あらゆる点で凄まじい生物です。
しかし、1990年にアメリカ海洋大気庁(NOAA)によって、トドが絶滅の危機にあることを発表されました。

当時、何世紀も続いた狩り、環境破壊、そして漁船がぶつかることによって多くの数のトドが死亡し、絶滅は免れないと思っていました。
NOAA漁業絶滅危惧種リストに載るということは、一般的には絶滅する運命なのです。
2013年以前は、奇跡的にハイイロクジラだけが1994年にそのリストから除外させられました。

トドも奇跡的にそのリストから除外された動物です。
1979年には18,000匹しか残っていませんでしたが、2010年までには7万匹を超えました。
現在は生息数が年間4%ずつ増えているため、完全に絶滅の危険性は無くなりました。
6.アラビアオリックス(2011年に絶滅危惧種から除外)

アラビアオリックスはここで紹介する動物たちの中で、実際に1回絶滅した動物です。
1972年に、最後の一匹がライフルで撃たれ絶滅しました。
かつてはアラビア半島の広大な砂漠を支配していた壮大で荘厳な動物でした。

確かにアラビアオリックスは絶滅しました。
しかし1回だけ、死に瀕している動物に運命がほほ笑んだのです。
生息数が減少するにつれて、サウジアラビア、カタール、アブダビのお金持ちの王様たちが、王室コレクションとして保護するようになりました。
これはまるで、絶滅しないように王様たちのもとへ移動したように見えます。
しかし、コレクションとして保護するというのは、悪いアイデアではありませんでした。
1982年、オマーン国はこれらのオリックスを繁殖させるために、特別な保護区を作りました。
現在では、野生のオリックスが1,000匹以上生息しています。

おそらく、オリックスが古代アラビア半島の象徴だったから助けられたのかもしれません。
長い間、数キロメートル離れたところから水を嗅ぐことができた高貴な生き物を復活させることは、その地域の人たちにとっての誇りだったでしょう。
もしアラブカメムシが絶滅の危機に瀕していたなら、こんなことは起きなかったでしょう。
7.エリー湖ミズヘビ(2011年に絶滅危惧種から除外)

エリー湖ミズヘビの運命的変化は信じられないものでした。
1999年には、米国の魚および野生生物部局が絶滅一歩手前として、絶滅危惧種リストに登録されていました。
しかし、わずか12年後の2011年には、そのリストから完全に除外されました。
それはもはや、間違いだったのではないかと思うほどに早いものでした。

エリー湖に生息するエリー湖ミズヘビは、人間の廃棄物が排出される近くに住み、駆除したくなるような怖い見た目のせいで、その数を減らしていました。
実際に、魚および野生生物部局がミズヘビをリストに登録した第一の理由は、人間がそれを見て驚いて殺してしまうからでした。
しかし、ホラー映画に出てくるような見た目にもかかわらず、エリー湖ミズヘビ無害です。
むやみやたらにちょっかいを出さなければ、問題無いでしょう。
8.タイリクオオカミ(2011年に絶滅危惧種から除外)

タイリクオオカミは、1970年代に絶滅危惧種のリストに載せられ、その後35年間ずっとリストに留まっていました。
2011年、米国魚および野生生物部局は、タイリクオオカミの生息数が増え始めたと報告しました。
現在、5,500匹以上が米国に住んでいます。
この時点で、状況は大きく変化しました。

タイリクオオカミを絶滅危惧種から除外するかどうかは、米国魚および野生生物部局が東部タイリクオオカミを別種として区別するかどうかにかかっていました。
しかし、科学的研究はこれを裏付ける証拠はないと主張し、オオカミの亜種の区分に関する議論は、かつてなかったほどに燃え上がりました。

この科学的な発言はさておき、タイリクオオカミが復活をしたことは間違いありません。
かつては絶滅の危機に瀕していた彼らは、ついにはアメリカの森に戻っていきました。
9.カッショクペリカン(2009年に絶滅危惧種から除外)

カッショクペリカンからすれば、20世紀半ばは人間によって親戚たちが殺された時代でした。
農薬が米国でますます一般的になったので、農民や政府職員はDDTで動いたものすべてに散布し始めました。
人間にとっても有害なDDTは、カッショクペリカンの数をすぐに減らしました。

鳥たちは毒で汚染された魚を食べ、病気になり、驚くほど早く死んでいきました。
生き残った鳥たちも、薄い殻を持った卵を産み始め、わずかな動きでもひびが入り、未熟児のまま死んでいきました。
この世界的な農薬散布の結果として、カッショクペリカンの生息数は一気に減少し、1970年までに絶滅危惧種に指定されました。

人間にもペリカンにもありがたいことに、DDTの使用は70年代半ばまでにはタブーとなり、最終的にマラリア対策の唯一の例外を除いて、完全に禁止となりました。
その生息地はもはや有毒な化学物質で覆われず、カッショクペリカンは復活することができました。
そして2009年に、絶滅危惧種リストから除外されました。
10.インドサイ(2008年に絶滅危惧種から除外)

数世紀前、インドサイの生活はとても快適な物でした。
この大きな動物は、現代のパキスタンからバングラデシュ、ブータンを経て、亜大陸の北全体を歩き回りました。
生息数は数百万までは行かないにしても、数十万にまで上りました。
彼らは大きく、印象的で、とても力強い動物でした。
その後、20世紀初頭には猛獣狩りたちがトロフィーを作ることに決めました。
そして70年以内に、生息数はわずか600にまで減少しました。

1975年、バングラデシュとブータンでインドサイが絶滅し、インドでも絶滅しかけていました。
彼らが完全に絶滅する前に生息数の減少が止まったのは、驚異的な努力のおかげでした。
生息地の保護と反狩猟の法律が強化され、サイ狩りをしようとするいかなる密猟者も重い罰則がもたらされました。
しばらくの間、物事はなかなか進展しませんでした。
しかし、事態は改善していきました。
まだ繁殖数は多くないものの、2008年までにサイの数は3,000匹にまで戻りました。